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秋田市周辺


 秋田へは二十年近くも帰っていない。
 年をとると人間は、ふるさとへの思慕と、名誉欲が理非を越えて強くなるらしいが、そのどちらもまだ私には縁が遠いようだ。
「秋田市はすっかり変わってしまった。戦災でやられたところが変わるのは当然だが、秋田は全然そうではないのにまるで新興都市なみだ。植民地的だといってもいいだろう。おかしなところさ」
 同郷の友はそういい、私はますます帰る気持ちがなくなってしまう。

 しかし、秋田市以外では、生きているうちに見たいところがずいぶんある。十和田湖も男鹿もじつは私はまだ知らない。十和田は日華事変がはじまったころ、応召将校の現地戦術というやつで吹雪の中を近くの山までゆき、あお黒い湖面をちらりと見た。男鹿は、島めぐりに二度も船川までゆき天候がわるくて二度とも中止になった。いま秋田から寒風山まで快適なドライブ・ウエイができているという。男鹿半鳥は民俗学的に貴重なところで、しかもまだほとんど手つかずだ。それをぜひ実地でしらべてみたい。

 私にとっていちばんなつかしいのは何といっても象潟(きさかた)だ。雪国という概念がまるであてはまらない温柔な風土。ねむの花。うつくしい海岸。西行や芭蕉が杖をひいたころ、そこは松島のように大小の島が浮かんでいて、彼らをうっとりさせた。もちろんいまではそのおもかげはまるでないが、それでも古風なおもむきがこまやかに残っている。そしてそこから見る鳥海山がとてもうつくしい。それは秋田富士と呼ばれているが、富士山よりもずっと秀麗である。登山の鬼深田久弥がこの山を彼のベスト・スリーの中に入れるくらいだから、のぼる山としてもすばらしいのだと思う。

 それから矢島がいい。ここのことばの京風のうつくしさ。そしてひとびとのしっとりした行儀のよさ。――これはいまでもあまりくずれていないようだ。田沢湖畔もほとんど変わっていないというが、それならもう一度行ってみたい。学生の時、死ぬつもりでひとりで行ったことがある。しかしあまりにうつくしく、しかもやさしく訴えかけてくるものがあって心がくじけた。その時死んでいれば、私は天才としてあつかわれ、詩碑ぐらいは立てられていたかも知れない。その辺でうたわれている民謡に「ひでこ節」というのがある。民謡ぎらいの私だが、この「ひでこ節」にはよわい。いつでも胸がせつなくなる。干拓事業進行中の八郎潟も、なくならないうちに、ぜひ見ておきたいとも思うが、あまりにむざんだととても私の神経にたえないだろう。前向きに故郷を見ることはほんとうにむずかしい。

(「読売新聞」1963年1月29日)


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