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ハマのムード


 あたらしい飲み屋なんかにはいった時、たまたま郷里の女がいるとひどく感激してその女をそばに引きよせ、めんめんと郷里の話をしてあきないというひとがいる。
 なかには、はいるとすぐどこそこの女はいないかとはじめからマークするひともいるが、私はどうしてかそんなところで郷里の女性にあうのがおっくうだ。しかも私の郷里は美人で名高い秋田である。
「ぜいたくなやつだ」
 といわれるが、どうしようもない。
 私はむかしから横浜が好きだった。ことに本牧のチャブ屋がよろしく、ずいぶんかよった。その頃ニューグランドのバーテンで長く外国航路の船に乗っていたというひとがいて港々のおもしろい話をきかしてくれたが、いま独立してバーを経営していて、その店はもっとも横浜情緒がゆたかだ。
 ――そう私に知らせてくれた友人の案内で私はせんだってそこへ行って見た。みぞれがしずかに降っていた。
 おかげで私はそのマスターと二五年ぶりであうことができ、話はなつかしくはずんだが、私のそばで合いづちを打つ色っぽい女性のことばにぬけ切れぬなまりがある。といただすと、しぶしぶ横浜でないといい、東北―秋田県―その中央部―とだんだん範囲がせまくなって、何と私の生れた土地のすぐそばの町の出身であった。
「ほう。これはこれは」
 というと彼女はそれを私の感動と理解したらしく、
「それだけじゃないわ。つい最近まで私は東京にいたのよ」
 と抱きついて来た。それをまた一つ一つ問いただすと、世田谷の松原四丁目の×××番地。私の家のすぐ近くのパン屋の横町だった。
「ウワア……」
「うれすーわ。先生とは二重に縁があるのでしもの」
 これは人生で、あまり変ったことをもとめてはいけないといういましめである。外国へ行って日本製品をとくいになってみやげに買ってくるのも、同じこころの系列ではないだろうか。

(「コーポラス」1963年4月号)


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