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辰と発電機


 私は辰(たつ)年の生まれである。
 しかも十一月の末だからまるまるの辰で、辰だといいながら温和な卯(うさぎ)がまじっているといったのとはちがう。

 母はそれが自慢で相手かまわずそれを口にし、私が東京の学校に行くようになると、その出発と帰る日は必ず嵐であるのが、私が竜神さまである証拠だというのであった。しかし三、四月、七、九月、十二、一月というのは雪国では大体荒れる日が多いからじつは私が辰であることとは何のつながりもなく、ことに子どもの時からけんかが大きらいでこの年になるまで仲間に暴力をふるったことは一度もなく、そんな場面になるとこわくなってさっさと家に逃げかえる。成長してたまたま瀬戸内海で嵐のあとに、竜の落し子という小さなひょうきんものがしっぽを海藻に巻いて水の中に立っているのを発見した時、ああこれがおれなんだと声をかけた。

 こんな柔弱児であったにかかわらず、私は生まれた頃から雷というものがちっともこわくなかった。鳴れば鳴るほど、光れば光るほどますます壮快になって踊り出したくなる。
 小学校の頃、Yというまことに都会的な美女が転入して来て私はたちまち好きになってしまった。つまり初恋というやつだ。早くおとなになって彼女と結婚したいと思いつづけたが、彼女のそばへ行くと何にもいえない。ところがある日理科の時間が電気≠ナ、先生が生徒の手をつぎつぎに握らせ、一番はしの子にへんな棒を握らせてモーターで電気を出す。その時私の隣りが彼女で、思いがけなくその片手を握る幸福にめぐまれた。へんにあたたかいわななきがその手から私の全身につたわり、もうボーッとして泣きたくなる。だが所詮はそれだけのことで、彼女は間もなく他県に転校してしまった。

 それから何年か経って平賀源内の伝記を読んだ。長崎に留学していた時、オランダの副領事が発電機をもっていて源内はその秘密が知りたくしきりにそこに通う。その副領事が帰国する時、源内の熱意にまいって「これを君に上げよう」といい、源内は感激して、その男のほしがるわが国の美術品を無理して手に入れて彼に贈る。ところがその男が帰国したあとそれをテストして見ると、何とこわれて使いものにならないやつであった。源内はがっかりしたが、そこで奮起し、とうとうその修理に成功するのだ。
 それから源内は大名の奥御殿などにそれを持ちこみ、女子どもの手を握らせてビリビリ電流を通わせてキャーキャーいわせるというバイトでかせぎながら江戸に出て、とうとう将軍家の大奥でもそれで大センセェションを起こすのだが切支丹バテレンの妖術≠使うということになり牢屋にぶちこまれてしまう。当節ならいつか日本全国をわかせたユリゲラーの超能力さわぎといったところだ。
 私が源内の伝記の中で、この発電機のくだりに今なお胸のときめきを感ずるのは、彼女の手をにぎった哀切な思い出につながるからで、それだけに大奥のそうしたさわぎの華やかさが感覚的に、生きてつたわって来るのである。

(「電波新聞」1975年10月9日)


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