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人こそは城


 台風十五号の被害が大きかったことへのきびしい批判がジャーナリズムをにぎわしている。戦後いちはやく思い切った都市計画を断行し、新しい名古屋市を築いた市長の識見と手腕への賞讃が、新名古屋城の出現と共にピークに達しようとしていた矢先におこった災害であった。その結果、中心部の繁華街に対する心づかいの何十分の一も、埋立地の保全には払われていなかったことがあきらかになり、市長の名声は一瞬にしてガタ落ちとなってしまった。

 たしかにこれは市長の責任であろう。しかし、市長だけの責任ではない。なぜなら資本主義社会というものは本質的にこのようなものであるからだ。まず特権階級の利益と繁栄、そしておこぼれがあれば、勤労階級におよぼしてゆく……こうした社会組織と思想が根底になっている限り、国民のためにどのような社会保障制度が設けられたとしても、限度がある。戦後いろいろつくられたそのための組織が、結局何万人かの職員をやしない、数々の汚職を生むためにしか役に立っていないことが何よりのしょうこだ。ほんとうの意味で、めぐまれない国民大衆のための政冶を考えている政治家は一人だっていない。さらに日本の場合、そのことを生涯のしごととしておのれのすべてをかける宗教家、教育者というものが、ほとんど見あたらない。こんなことを考えると、まったくじりじりする。

 戦後日本の各都市がやった最大の愚行は、城の復元である。大阪城、名古屋城は、昔から有名だから、まアまア目をつぶるとしても、明治以後ほとんどすがたを消していた各地の小さい城までが、コンクリートの俗悪なすがたを人目にさらすことになった。理由は例外なく、「観光客誘致、外貨カクトク」――笑わしちゃいけない。行く先々で、同じような城を見せられ、同じようなみやげを買わされるんじゃ、どこか一カ所で間に合うということになる。それよりは、それだけの費用で防災設備なり、厚生施設なりをするほうがどれだけいいか知れないのだ。

 戦国時代、武田信玄という名将がいたが、彼は決して城をつくらなかった。
  人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり
 という歌をよんだとつたえられている。民衆をいつくしみ、善政をほどこせば、城などはいらないという意味である。中国のことわざには「衆志城をなす」というのがある。やはり同じ意味だ。

 いま、民主主義のかけ声がやかましく、封建主義といえば、人権をまるで無視した悪い制度の標本のように考えられているが、かならずしもそうではない。王や大名の生活は庶民からの税金と労働力によってささえられていたから、支配者たちにとっては、これら庶民の民生を安定させることが彼らの生活を安定させることであった。治水、防災のために、彼らがどれだけ苦労をし、真剣にとりくんだか――それをいまの役人や政治家どものしごとのやり方と比較して見るがいい。いまの方が、だらけていてお話にならない。

 資本主義経済は、個人の労働力よりも、資本として投下された貨幣自体がいくらでも利潤を生むしかけになっている。そのことからいつか、人間よりも貨幣がとうといという思想が生まれた。そしてそれがいま、ますます国内にはんらんしている。民主社会なんてとんでもない。不健全な植民地的資本主義のまっただ中に日本はいまある。私たちはそのことを忘れてはいけない。これをどうにかしなければ、民主社会は生まれないのだ。

(「若い芸術」1959年12月号)


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