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生きる秘訣


 昭和二十一年夏、敗戦のため大陸から引き揚げて来て、惨澹たる窮乏のうちに何年かをすごすうち、とうとうリューマチ(※)が持病になった。
 それでも安臥静養などしていると、たちまち一家の生活がピンチになるから、厚く湿布した足をひもで草履(ぞうり)に結びつけ、長い竹の棒にすがりながら方々へ出てゆかなければならない。われながら醜径見るに堪えないから、たずねられるほうはもっとやり切れなかったと思う。もちろん、あらゆる治療はまじめにひと通りこころみたが全然だめ。

 五、六年前のある夏、野尻湖畔のわが小屋(ひとはこれを別荘と呼ぶ)で、全身の痛みと、はげしい発熱でまったく動けなくなったとき、「ヤブだが気軽に来てくれる」という評判のモグリ医者を呼ぶと、チョビひげの彼は、診察もせずにおもむろに軽いセキなどしながら注射を一本打ってくれた。
 すると、アアラふしぎ。それからぐっと楽になり、彼がくれた薬をのんでいるうちに、ぐんぐん楽になる。
 暑休がすんで帰京するとき、礼に行き、その薬の名をおしえてくれるように懇願すると、彼は酒やけした赤黒い顔でポッとはにかみながら、
「ホホホ、どこでも使っているやつでして……」
 とその名を書いてくれた。それ以来、そのくすりが私の常用となったが、危険があるというので、そのうちにどこの医者もくれなくなる。
 だが私は今でもそれを手に入れて愛用しているが、その時の苦しみの中でさとったのは、「不治とされるリューマチとたたかうのは、しょせんはむだ。むしろ、からだの一部として、やさしく飼育すべきではないか」ということだった。

 そこから私の「一病息災論」が生まれたのだ。
 われわれの仲間でも無病なやつほど、ポロポロ欠けてゆく。持病もちの方がむしろ長生きするのは、世間一般でもそうだ。逆説的にいえば犯罪がその社会の健全性をしめすように、われわれの健康も、持病をもつことによって完ぺきだと言えないか。横井庄一さんの帰還と前後して、スパイの嫌疑で四年もパキスタンの牢獄にはいっていた友人がもどって来た。獄中生活は死ぬほど苦しかったといいながら、彼はその間に持病の胃潰瘍と水虫を、獄庭の木の葉で治したといい、血色は私などよりはるかにつややかだった。
 そこで私は、とくいの一病息災論をもち出すと、彼はうなずき、
「そうです。それと時間を忘れること。――時間を忘れることだけが不死につながりますからね」

(「健康」1972年7月号)


※文中には「リューマチ」とありますが、実際の病名は「痛風」です(著作権継承者注)

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