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四捨五入


 七月二日はまったくめずらしく午後の時間をもてあました。新聞を見ると10チャンネルで王将戦第四戦の特集をやっているのでそれを見た。ああいう緊迫した場面に海の波などを挿入するのはテレビの悪い癖でほとんど効果をあげていない。観戦記者の倉島竹二郎氏たった一人がしきりに餅菓子をほおばるところが目立っておかしかった。

 大山名人が敗れたちょうどその日の夜おそくである。Mという男から電話がかかって来た。その名に心あたりはなく、それでも電話に出ると、
「先生、中原名人が王将位をとりました。祝杯をあげましょう」
 と声がはずんでいる。こっちがおまえさんを知らないのに、いやになれなれしいと思ったとたんハッと気がついた。あのM君だ。急にこっちの声も大きくなり、
「やァ、どうもどうも。近いうちぜひやりましょうや」

 このM君は川崎市教育庁の若手の事務官である。
 昨年秋、川崎が特別市に指定された記念行事として文化賞≠ェ設定され、私はその選衡委員を頼まれた。これまでの各地の賞はすでに功なり名とげた老人ばかりに贈られていて大して意味がない。これからもっとやるという青年にも贈るべきだという意見を私は出し、みなが賛成して誰か心あたりがあるかという。フト中原新名人のことを思い出し、その名を出すと、一同異議なく、私もそれできまったと思っていると、二三日してそのM君が私の所にやって来た。
「先生、困ったことができました。表彰の内規には、十年以上この地区に住んでいる人となっています。中原さんはまだそうはなっていないらしいというのですが……」
「そんなはずはない。カスカス十年ぐらいじゃないか。それなら四捨五入でごまかせる。そうしたまえ」
 M君はそこで役所へ電話し、上司も多少のところは大目に見るというのでいさんで立ちさる。ところがつぎの日またやって来て、
「とてもだめです。中原さんのお宅をおたずねしたら、名人はいませんでしたが、お母さんのお話ではまだ四年とちょっとらしいです。それではいくら何でもね」
 そこで私ははじめて中原名人のところに電話し、そのお母さんにたしかめるとそうだという。
「しかしね、お母さん。そこを何とか、どうにかなりませんか。たとえはですね、正式におうつりになってからは四年ちょっとだとしても、地所を買ってからはもう十年になるとか、名人が移る前に、たとえばお母さんが一人でそこに小屋を建てて住んでいたとか……」
 だが純粋東北人の実直なお母さんにはそんな政治≠ヘ通用せず、あくまで四年説を主張してゆずらない。私とM君もそこであきらめることにした。

 ところがいよいよ表彰者名発表の前夜おそくM君が同じ課の青年をつれて私のところにあらわれた。憔悴の色は濃く、しかし目はギラギラしている。
「先生、とうとうやりました。中原名人O・Kです」
「え、どうして」
「それが例の四捨五入です。中原名人が越して来られてから四年六ヶ月です。四捨五入によって六を繰り上げると、五年になるでしょう。するとまた四捨五入によって五を繰り上げると十になる。その理論で今朝から各審査員の家をまわって全部賛成してもらい、それから上司の家をまわってとうとう了解してもらいました」
 これには私もおどろいたが、こういう役人こそこれからの役人だ。若い者はなかなかやるわいとそこでビールで乾盃となる。
 そうして今度の王将位獲得は、その受賞以後最初の中原氏の金星というしだいであった。

(「将棋世界」1973年9月号)


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