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トレード将棋のすすめ プロ野球のトレードさわぎが毎日の新聞をにぎわしているが、私たちがやっている将棋にこれとそっくりなのがある。 したしい友だちと将棋をさす時、よく晩めしを賭けたり、晩めしの費用にあてるため一局○百円を負けたほうが出してそれを積み立てたりする。――これはほとんど誰でもやっていることだと思うが、私たちの場合、勝負の途中でどうしてもほしいコマが手にないとそれを相手の持ちゴマから買うということをやるのだ。 「おい歩を一つゆずってくれ」 「飛車とり王手をかけたいから、角をゆずれよ」 といったぐあいである。すると相手は、それらのコマをゆずっても、負けないという見とおしがあると、 「よし。いくらだ」 ということになる。そこで歩一つが○十円あるいは桂なら○十円というぐあいにその場その場で両者の間で値段がきめられ、買ったほうはすぐそれが使えるわけだ。だが私たち程度の実力では、それ一発で勝負がきまるということはない。 いよいよ終盤になると売り買いはますますはげしくなり、相手に渡したコマをすぐ買いもどし、買いもどしして、王様をつめてしまうこともある。そんな時は、コマを買った金額の総計が軽く一局の賭け金を超過し、勝負には勝ったが経済的には損をしたという場合もずいぶん出てくる。だがそれでも勝ちたいし、勝ってから相手をさかなに一パイやる気持は何ともいえない。ことに相手がどうしてもほしいという大ゴマを高く売りつけて、それでもこっちが勝った時のよろこびなど最高だ。 東洋にはじまった将棋ではこんなトレードはもちろん邪道だが、アメリカにおこったプロ野球では、それが当然だとされている。もっぱらあちらを手本にして来た日本プロ野球が今年になってはじめて全面的にトレードで大さわぎをしているのはたいへんおそすぎるといわねばなるまい。だからほうぼうに混乱やミスがおこるのは当然で、そのうちにだんだん馴れてくるだろう。選手も、関係者たちも。――彼らをいちばん毒しているのは、私は日本流の「仁義」の観念だと思う。それは日本古来の「武士道」であり「やくざの道」でもあると信じられているが、徳川期以前には、いま考えられているようなそんな「仁義」なんかなかった。さむらいはそのつどの契約で、自由にスポンサーである主君をかえていたことは、黒沢明の映画『七人の侍』や『椿三十郎』などでも知られる。特殊技術者なんて本来はそういうものなのだ。そのことをこの際おたがいがもっとはっきり認識すべきだ。契約関係ができると、やとった方はすぐ相手に「忠犬」たることを要求し、やとわれた方も、意識的無意識的に「忠犬」的になる。それがおかしい。忠臣になるのはいいが忠犬では「人間」である意味がないではないか。 さて、そこでまたまた提案だが両リーグでとりあえず関係者たちのためにトレード将棋の研修をはじめたらどうだろう。そしてそれをアメリカのプロ野球界に輸出するのだ。外国人は碁には熱心だが、将棋にはそれほどでない。しかし、トレード将棋ならきっとアメリカで流行(はや)ると思う。
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